2014年04月10日

地附山古墳の宝物

地附山には5世紀中期ごろから後期に構築されたと考えられている「前方後円墳」と「上池ノ平6号墳」の2つの古墳がある。
上池ノ平6号墳は「上池ノ平古墳群」として6基の円墳からなっていたが、昭和60年7月の大地滑りの復旧工事上止むを得ず1号から5号まで取り壊され現在6号だけが存在している。
取り壊しにあたって、長野市教育委員会は緊急に発掘調査を行い、その報告書が出版されている。この報告書の中で1号古墳の「出土遺物」は「過去の発掘で2号石室から長さ85cmの刀身が出土している。・・・・今回の調査では出土遺物は認められなかった」と記されている。
一方、郷土誌・上松には調査に参加した報告が記載され、「北石室より2尺5寸の直登出る」。「南石室より矢尻、鎧破片出る」と記され、最後に「2尺5寸の直刀一振り駒形嶽駒弓神社に奉納と聞くが実在不明」と結ばれている。

ところが、以前、駒形嶽駒弓神社の氏子総代を務めた某氏から、「直刀は里宮の倉庫にある」と聞かされた。里宮の倉庫はホームセンターでも売っているような鉄製の小さなもので、温度、湿度などの環境はかなり悪い。そこで、現在の氏子総代と、「その直刀が地附山上池ノ平古墳群の1号古墳のものであれば、地域の宝として博物館なりの環境の良い所で保存すべきではないか」と話がまとまり、4月10日長野市立博物館千野副館長、長野市埋蔵文化センター飯島係長他の方の現物を目視していただき、「直刀、鉄鏃、鏡は5世紀後期のものと思われる」とのお話を戴いた。また、同じ箱に入っていた腐食のない鏡は鎌倉時代かな。また土師器は平安時代より後のものだろう。と語られた。さらに別の箱のかなり腐食した刀は出土品であろうが、この状態では判断できない。と話された。

この結果、博物館側、神社側とも「寄託」と言うことで、これらを博物館が預かり、これ以上腐食が進まないようにする。と協議がまとまった。
また、博物館側で予算に余裕が出れば、これを展示できるように処理したいとの話もされた。
昭和30年に発掘され、約60年眠っていた地附山古墳の宝物がしっかりと後世に引き継がれていき、いずれは博物館にてんじされ多くの人たちの目に触れ、郷土の学習の一助となるであろう。
長文になってしまっただ、終わりに本件につき、私は神社に関係はしていないが、神社側の「博物館へ寄託」するとした結論には感謝したい。

関係写真
地附山古墳の宝物
直刀と鏡など

地附山古墳の宝物
鉄鏃(やじり)

地附山古墳の宝物
錆のひどい直刀

地附山古墳の宝物
鎌倉時代のものかと思われる鏡

地附山古墳の宝物
直刀と同じ箱に保管されていた昭和30年発掘時の報告書

地附山古墳の宝物
目視する博物館、埋文センターの千野・飯島・風間各氏






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Posted by まさみちゃん at 15:58│Comments(0)地附山便り
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