2014年04月27日
地附山はハイキング日和
活動報告は「たあちゃんお休み」のため「まあちゃん代筆です」
26日は最高のハイキング日和でした。
本日から、公園管理棟脇に設置していただいた「地附山トレッキングコース愛護会案内所」の営業開始(ご案内はもちろん無料)です。
13名のメンバーが集まりました。まづは望岳台の事務所で11日のイベントに向かっての役割分坦等の打合せを済ませ、案内所オープンを記念して新たに公園管理人になられた西沢様の指導で公園内の清掃を行いました。
その後、大きな松の倒木でつづらトレイルの名物山桜(パワーポイントから分岐2の間)が押しつぶされているので、この松の撤去と、跳駒トレイルを半ばふさいでいる倒木の撤去の「伐採部隊」と案内標識の取替えの「整備部隊」それに「案内所詰」の3班での作業を行いました。
伐採部隊は大木処理で大変だったようです。でも、これで今年も素晴らしい桜が見ることが出来ます。また、跳駒トレイルも安全になりました。
一部消えかけていた標識も新しいものに付け替えました。
ところで、地附山公園はソメイヨシノが満開、山頂トレイルにはショウジョウバカマが一面に咲き競っております。パワーポイントのヤマブキもちらほら、間もなく一面黄金色になるでしょう。11日が待ち遠しいですね。また、跳駒トレイルには所々に可愛い白い花が見られますます。センボンヤリの花です。この花からこの花の名前は予想できませんね。秋をお待ちくだされば「なるほど」と納得するでしょう。

公園の清掃

つづらトレイル倒木伐採の後
これで桜も生き返ります

跳駒トレイルの伐採後

標識取替え作業

ショウジョウバカマ

センボンヤリの可愛い花

ヤマブキが色づきました

まるで雪が積もったような花屑(跳駒入口)
26日は最高のハイキング日和でした。
本日から、公園管理棟脇に設置していただいた「地附山トレッキングコース愛護会案内所」の営業開始(ご案内はもちろん無料)です。
13名のメンバーが集まりました。まづは望岳台の事務所で11日のイベントに向かっての役割分坦等の打合せを済ませ、案内所オープンを記念して新たに公園管理人になられた西沢様の指導で公園内の清掃を行いました。
その後、大きな松の倒木でつづらトレイルの名物山桜(パワーポイントから分岐2の間)が押しつぶされているので、この松の撤去と、跳駒トレイルを半ばふさいでいる倒木の撤去の「伐採部隊」と案内標識の取替えの「整備部隊」それに「案内所詰」の3班での作業を行いました。
伐採部隊は大木処理で大変だったようです。でも、これで今年も素晴らしい桜が見ることが出来ます。また、跳駒トレイルも安全になりました。
一部消えかけていた標識も新しいものに付け替えました。
ところで、地附山公園はソメイヨシノが満開、山頂トレイルにはショウジョウバカマが一面に咲き競っております。パワーポイントのヤマブキもちらほら、間もなく一面黄金色になるでしょう。11日が待ち遠しいですね。また、跳駒トレイルには所々に可愛い白い花が見られますます。センボンヤリの花です。この花からこの花の名前は予想できませんね。秋をお待ちくだされば「なるほど」と納得するでしょう。
公園の清掃
つづらトレイル倒木伐採の後
これで桜も生き返ります
跳駒トレイルの伐採後
標識取替え作業
ショウジョウバカマ
センボンヤリの可愛い花
ヤマブキが色づきました
まるで雪が積もったような花屑(跳駒入口)
2014年04月11日
地附山トレッキングコース整備作業
11日はコース整備作業日でした。新年度に入ってこれまで10~12名程度の参加でしたが、今日は18人でした。
はじめのミーティングで、小林市郎顧問、小林会長から5月11日のイベントは団体参加場多く300名を超えると予想されるので、あらゆる面で遺漏の無いよう今後計画的にコース整備を行い、ガイドの学習にも努力してほしい旨、激励された。
また、公園管理棟の脇に、案内所を開設したので、皆さんで案内サービスができるよう協力いりだあった。
皆様、これから、ショウジョウバカマ、5月に入るとチゴユリ、ヤマブキ、6月には貴重なウメガサソウが咲きます。案内体制も整えております是非地附山トレッキングコースをお楽しみにお出かけ下さい。
今日の作業は、案内所の様子を視察し、案内所設置されたことの協力として、地附山公園の清掃作業を行った。今後も適時この作業も実施していく予定です。
清掃終了後、一部の人でコース一部をパトロールしました。危険な枝を切ったり、傷んだ案内標識を修理したりしながら花の様子を観察してきました。ショウジョウバカマは場だ花芽が出ていません。春蘭が間もなく咲きます。所々にダンコウバイの黄色が綺麗です。バードウォッチングの方に出会いました。鷹の渡りが見られるとか。

案内所の様子を勉強

公園清掃作業

ダンコウバイの黄色が目立つ

春蘭の花芽
はじめのミーティングで、小林市郎顧問、小林会長から5月11日のイベントは団体参加場多く300名を超えると予想されるので、あらゆる面で遺漏の無いよう今後計画的にコース整備を行い、ガイドの学習にも努力してほしい旨、激励された。
また、公園管理棟の脇に、案内所を開設したので、皆さんで案内サービスができるよう協力いりだあった。
皆様、これから、ショウジョウバカマ、5月に入るとチゴユリ、ヤマブキ、6月には貴重なウメガサソウが咲きます。案内体制も整えております是非地附山トレッキングコースをお楽しみにお出かけ下さい。
今日の作業は、案内所の様子を視察し、案内所設置されたことの協力として、地附山公園の清掃作業を行った。今後も適時この作業も実施していく予定です。
清掃終了後、一部の人でコース一部をパトロールしました。危険な枝を切ったり、傷んだ案内標識を修理したりしながら花の様子を観察してきました。ショウジョウバカマは場だ花芽が出ていません。春蘭が間もなく咲きます。所々にダンコウバイの黄色が綺麗です。バードウォッチングの方に出会いました。鷹の渡りが見られるとか。
案内所の様子を勉強
公園清掃作業
ダンコウバイの黄色が目立つ
春蘭の花芽
2014年04月10日
地附山古墳の宝物
地附山には5世紀中期ごろから後期に構築されたと考えられている「前方後円墳」と「上池ノ平6号墳」の2つの古墳がある。
上池ノ平6号墳は「上池ノ平古墳群」として6基の円墳からなっていたが、昭和60年7月の大地滑りの復旧工事上止むを得ず1号から5号まで取り壊され現在6号だけが存在している。
取り壊しにあたって、長野市教育委員会は緊急に発掘調査を行い、その報告書が出版されている。この報告書の中で1号古墳の「出土遺物」は「過去の発掘で2号石室から長さ85cmの刀身が出土している。・・・・今回の調査では出土遺物は認められなかった」と記されている。
一方、郷土誌・上松には調査に参加した報告が記載され、「北石室より2尺5寸の直登出る」。「南石室より矢尻、鎧破片出る」と記され、最後に「2尺5寸の直刀一振り駒形嶽駒弓神社に奉納と聞くが実在不明」と結ばれている。
ところが、以前、駒形嶽駒弓神社の氏子総代を務めた某氏から、「直刀は里宮の倉庫にある」と聞かされた。里宮の倉庫はホームセンターでも売っているような鉄製の小さなもので、温度、湿度などの環境はかなり悪い。そこで、現在の氏子総代と、「その直刀が地附山上池ノ平古墳群の1号古墳のものであれば、地域の宝として博物館なりの環境の良い所で保存すべきではないか」と話がまとまり、4月10日長野市立博物館千野副館長、長野市埋蔵文化センター飯島係長他の方の現物を目視していただき、「直刀、鉄鏃、鏡は5世紀後期のものと思われる」とのお話を戴いた。また、同じ箱に入っていた腐食のない鏡は鎌倉時代かな。また土師器は平安時代より後のものだろう。と語られた。さらに別の箱のかなり腐食した刀は出土品であろうが、この状態では判断できない。と話された。
この結果、博物館側、神社側とも「寄託」と言うことで、これらを博物館が預かり、これ以上腐食が進まないようにする。と協議がまとまった。
また、博物館側で予算に余裕が出れば、これを展示できるように処理したいとの話もされた。
昭和30年に発掘され、約60年眠っていた地附山古墳の宝物がしっかりと後世に引き継がれていき、いずれは博物館にてんじされ多くの人たちの目に触れ、郷土の学習の一助となるであろう。
長文になってしまっただ、終わりに本件につき、私は神社に関係はしていないが、神社側の「博物館へ寄託」するとした結論には感謝したい。
関係写真

直刀と鏡など

鉄鏃(やじり)

錆のひどい直刀

鎌倉時代のものかと思われる鏡

直刀と同じ箱に保管されていた昭和30年発掘時の報告書

目視する博物館、埋文センターの千野・飯島・風間各氏
上池ノ平6号墳は「上池ノ平古墳群」として6基の円墳からなっていたが、昭和60年7月の大地滑りの復旧工事上止むを得ず1号から5号まで取り壊され現在6号だけが存在している。
取り壊しにあたって、長野市教育委員会は緊急に発掘調査を行い、その報告書が出版されている。この報告書の中で1号古墳の「出土遺物」は「過去の発掘で2号石室から長さ85cmの刀身が出土している。・・・・今回の調査では出土遺物は認められなかった」と記されている。
一方、郷土誌・上松には調査に参加した報告が記載され、「北石室より2尺5寸の直登出る」。「南石室より矢尻、鎧破片出る」と記され、最後に「2尺5寸の直刀一振り駒形嶽駒弓神社に奉納と聞くが実在不明」と結ばれている。
ところが、以前、駒形嶽駒弓神社の氏子総代を務めた某氏から、「直刀は里宮の倉庫にある」と聞かされた。里宮の倉庫はホームセンターでも売っているような鉄製の小さなもので、温度、湿度などの環境はかなり悪い。そこで、現在の氏子総代と、「その直刀が地附山上池ノ平古墳群の1号古墳のものであれば、地域の宝として博物館なりの環境の良い所で保存すべきではないか」と話がまとまり、4月10日長野市立博物館千野副館長、長野市埋蔵文化センター飯島係長他の方の現物を目視していただき、「直刀、鉄鏃、鏡は5世紀後期のものと思われる」とのお話を戴いた。また、同じ箱に入っていた腐食のない鏡は鎌倉時代かな。また土師器は平安時代より後のものだろう。と語られた。さらに別の箱のかなり腐食した刀は出土品であろうが、この状態では判断できない。と話された。
この結果、博物館側、神社側とも「寄託」と言うことで、これらを博物館が預かり、これ以上腐食が進まないようにする。と協議がまとまった。
また、博物館側で予算に余裕が出れば、これを展示できるように処理したいとの話もされた。
昭和30年に発掘され、約60年眠っていた地附山古墳の宝物がしっかりと後世に引き継がれていき、いずれは博物館にてんじされ多くの人たちの目に触れ、郷土の学習の一助となるであろう。
長文になってしまっただ、終わりに本件につき、私は神社に関係はしていないが、神社側の「博物館へ寄託」するとした結論には感謝したい。
関係写真
直刀と鏡など
鉄鏃(やじり)
錆のひどい直刀
鎌倉時代のものかと思われる鏡
直刀と同じ箱に保管されていた昭和30年発掘時の報告書
目視する博物館、埋文センターの千野・飯島・風間各氏
2014年04月10日
地附山古墳の宝物
地附山には5世紀中期ごろから後期に構築されたと考えられている「前方後円墳」と「上池ノ平6号墳」の2つの古墳がある。
上池ノ平6号墳は「上池ノ平古墳群」として6基の円墳からなっていたが、昭和60年7月の大地滑りの復旧工事上止むを得ず1号から5号まで取り壊され現在6号だけが存在している。
取り壊しにあたって、長野市教育委員会は緊急に発掘調査を行い、その報告書が出版されている。この報告書の中で1号古墳の「出土遺物」は「過去の発掘で2号石室から長さ85cmの刀身が出土している。・・・・今回の調査では出土遺物は認められなかった」と記されている。
一方、郷土誌・上松には調査に参加した報告が記載され、「北石室より2尺5寸の直登出る」。「南石室より矢尻、鎧破片出る」と記され、最後に「2尺5寸の直刀一振り駒形嶽駒弓神社に奉納と聞くが実在不明」と結ばれている。
ところが、以前、駒形嶽駒弓神社の氏子総代を務めた某氏から、「直刀は里宮の倉庫にある」と聞かされた。里宮の倉庫はホームセンターでも売っているような鉄製の小さなもので、温度、湿度などの環境はかなり悪い。そこで、現在の氏子総代と、「その直刀が地附山上池ノ平古墳群の1号古墳のものであれば、地域の宝として博物館なりの環境の良い所で保存すべきではないか」と話がまとまり、4月10日長野市立博物館千野副館長、長野市埋蔵文化センター飯島係長他の方の現物を目視していただき、「直刀、鉄鏃、鏡は5世紀後期のものと思われる」とのお話を戴いた。また、同じ箱に入っていた腐食のない鏡は鎌倉時代かな。また土師器は平安時代より後のものだろう。と語られた。さらに別の箱のかなり腐食した刀は出土品であろうが、この状態では判断できない。と話された。
この結果、博物館側、神社側とも「寄託」と言うことで、これらを博物館が預かり、これ以上腐食が進まないようにする。と協議がまとまった。
また、博物館側で予算に余裕が出れば、これを展示できるように処理したいとの話もされた。
昭和30年に発掘され、約60年眠っていた地附山古墳の宝物がしっかりと後世に引き継がれていき、いずれは博物館にてんじされ多くの人たちの目に触れ、郷土の学習の一助となるであろう。
長文になってしまっただ、終わりに本件につき、私は神社に関係はしていないが、神社側の「博物館へ寄託」するとした結論には感謝したい。
関係写真

直刀と鏡など

鉄鏃(やじり)

錆のひどい直刀

鎌倉時代のものかと思われる鏡

直刀と同じ箱に保管されていた昭和30年発掘時の報告書

目視する博物館、埋文センターの千野・飯島・風間各氏
上池ノ平6号墳は「上池ノ平古墳群」として6基の円墳からなっていたが、昭和60年7月の大地滑りの復旧工事上止むを得ず1号から5号まで取り壊され現在6号だけが存在している。
取り壊しにあたって、長野市教育委員会は緊急に発掘調査を行い、その報告書が出版されている。この報告書の中で1号古墳の「出土遺物」は「過去の発掘で2号石室から長さ85cmの刀身が出土している。・・・・今回の調査では出土遺物は認められなかった」と記されている。
一方、郷土誌・上松には調査に参加した報告が記載され、「北石室より2尺5寸の直登出る」。「南石室より矢尻、鎧破片出る」と記され、最後に「2尺5寸の直刀一振り駒形嶽駒弓神社に奉納と聞くが実在不明」と結ばれている。
ところが、以前、駒形嶽駒弓神社の氏子総代を務めた某氏から、「直刀は里宮の倉庫にある」と聞かされた。里宮の倉庫はホームセンターでも売っているような鉄製の小さなもので、温度、湿度などの環境はかなり悪い。そこで、現在の氏子総代と、「その直刀が地附山上池ノ平古墳群の1号古墳のものであれば、地域の宝として博物館なりの環境の良い所で保存すべきではないか」と話がまとまり、4月10日長野市立博物館千野副館長、長野市埋蔵文化センター飯島係長他の方の現物を目視していただき、「直刀、鉄鏃、鏡は5世紀後期のものと思われる」とのお話を戴いた。また、同じ箱に入っていた腐食のない鏡は鎌倉時代かな。また土師器は平安時代より後のものだろう。と語られた。さらに別の箱のかなり腐食した刀は出土品であろうが、この状態では判断できない。と話された。
この結果、博物館側、神社側とも「寄託」と言うことで、これらを博物館が預かり、これ以上腐食が進まないようにする。と協議がまとまった。
また、博物館側で予算に余裕が出れば、これを展示できるように処理したいとの話もされた。
昭和30年に発掘され、約60年眠っていた地附山古墳の宝物がしっかりと後世に引き継がれていき、いずれは博物館にてんじされ多くの人たちの目に触れ、郷土の学習の一助となるであろう。
長文になってしまっただ、終わりに本件につき、私は神社に関係はしていないが、神社側の「博物館へ寄託」するとした結論には感謝したい。
関係写真
直刀と鏡など
鉄鏃(やじり)
錆のひどい直刀
鎌倉時代のものかと思われる鏡
直刀と同じ箱に保管されていた昭和30年発掘時の報告書
目視する博物館、埋文センターの千野・飯島・風間各氏
2014年04月02日
地附山もオープン
4月1日地附山公園へのゲートが開きいよいよ公園に春の到来です。
2日暖かい陽気に誘われ、昼過ぎ出かけました。ガイドブック作成に不足している写真の補充を兼ねて出かけました。3月の大雪の時に行ったきりでしたので、雪で倒木などがあるのでは?と思ったのですが綺麗になっていました。地附山トレッキングコース愛護会の会長さんが頑張ってくれたようです。
跳駒コースから入って、駒形嶽駒弓神社、金毘羅宮へ今シーズンの安全を祈願し、まだ芽吹きがほとんど見られませんが、春の日差しをたっぷり浴びて急坂をモボリ詰めました。
つづらコースとの合流点(分岐3)のテラスで子供数人とお母さん2人がお弁当を広げ礼ました。おやおや、もうちょっと行けば最高のビューポイント(パワーポイント)なのにと、声をかけました。・・・もう一段登ってくださいよ。そこがパワーポイントですよ・・・。お母さんはここではないのだーーーーと。
そこからこの親子達と一緒に歩きました。聞けば篠ノ井と松代からだと言う。それならせっかく来たのだから一周しましょうよ。小さな子供もいたけれど私の誘いに乗って郷愁コースからいにしえコースへ、まだ幼稚園の小さな子供もいるので枡形城跡は省略しました。
お母さんや5年生の子供さんはスキー場跡や飯縄、妙高の眺めに大喜び、みんなで「ヤッホー」「こだまが聞こえた」・・・。「古墳てなんだ」「どうしてここにあるってわかったの」などなど結構質問が出る。
モウセンゴケ群生地の斜面にはまだ雪がある。
公園に着いてお別れに、お母さんや子供たちから「一緒に歩いて本当に楽しかった」「自分たちだけだったらこんなに歩かなかった」「頂上へ行くことが出来てよかった」と、お礼の言葉に私も大満足。5月のイベントにはぜひ来てください。と誘いしておきました。
公園の管理棟へ顔を出したら、管理の鈴木さんとアシスタントの西沢さんから、「案内所のハウスを見て行って下さい」とわざわざ案内してくださいました。
今シーズンは忙しいなーーーー。

モウセンゴケ群生地の残雪

子供もお母さんも「ヤッホー」

ウメガサソウも冬枯れのまま、まだ今年の芽は出ていない。
2日暖かい陽気に誘われ、昼過ぎ出かけました。ガイドブック作成に不足している写真の補充を兼ねて出かけました。3月の大雪の時に行ったきりでしたので、雪で倒木などがあるのでは?と思ったのですが綺麗になっていました。地附山トレッキングコース愛護会の会長さんが頑張ってくれたようです。
跳駒コースから入って、駒形嶽駒弓神社、金毘羅宮へ今シーズンの安全を祈願し、まだ芽吹きがほとんど見られませんが、春の日差しをたっぷり浴びて急坂をモボリ詰めました。
つづらコースとの合流点(分岐3)のテラスで子供数人とお母さん2人がお弁当を広げ礼ました。おやおや、もうちょっと行けば最高のビューポイント(パワーポイント)なのにと、声をかけました。・・・もう一段登ってくださいよ。そこがパワーポイントですよ・・・。お母さんはここではないのだーーーーと。
そこからこの親子達と一緒に歩きました。聞けば篠ノ井と松代からだと言う。それならせっかく来たのだから一周しましょうよ。小さな子供もいたけれど私の誘いに乗って郷愁コースからいにしえコースへ、まだ幼稚園の小さな子供もいるので枡形城跡は省略しました。
お母さんや5年生の子供さんはスキー場跡や飯縄、妙高の眺めに大喜び、みんなで「ヤッホー」「こだまが聞こえた」・・・。「古墳てなんだ」「どうしてここにあるってわかったの」などなど結構質問が出る。
モウセンゴケ群生地の斜面にはまだ雪がある。
公園に着いてお別れに、お母さんや子供たちから「一緒に歩いて本当に楽しかった」「自分たちだけだったらこんなに歩かなかった」「頂上へ行くことが出来てよかった」と、お礼の言葉に私も大満足。5月のイベントにはぜひ来てください。と誘いしておきました。
公園の管理棟へ顔を出したら、管理の鈴木さんとアシスタントの西沢さんから、「案内所のハウスを見て行って下さい」とわざわざ案内してくださいました。
今シーズンは忙しいなーーーー。
モウセンゴケ群生地の残雪
子供もお母さんも「ヤッホー」
ウメガサソウも冬枯れのまま、まだ今年の芽は出ていない。